RKB創立60周年記念番組「塩の道から空の道へ」


- 番組で登場する塩の道は新潟県糸魚川から入る千国街道。この道を通って、かつて福岡県志賀島を拠点に活躍した安曇族が安曇野へ入り、住みついたという説がある。
博多の名物「おきゅうと」と全く同じ海藻で作った安曇野周辺だけで食べられるエゴ。果たして、安曇族が持ち込んだものか・・・
番組では信州安曇野と志賀島の安曇族の謎に包まれた関係を追跡する。
話数:全26話
出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 他
RKBラジオ
放送日時:毎週日曜日午後7時40分
出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 他
RKBラジオ
| 周波数(kHz): | 福岡1278kHz 北九州1197kHz 大牟田・行橋1062kHz |
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- 2012年4月1日放送「最終回は空の道から安曇野へ」
- 最終回は番組で募集した安曇野を訪ねる空の道を使ったツアーを紹介。このツアーの目玉は白馬岩岳スキー場で行ったスノーシュー、つまりかんじき体験。新雪をスノーシューをさくさくいわせて歩き、参加者のみなさん大変楽しそうでした。番組に登場した観松院の半跏菩薩像も見学。姿の美しさに感嘆の声がでてました。夜は一年を通じて鳴いているすずむしの声をバックに、ちひろ美術館の松本猛さんの失われた弥勒の手の話、白馬小谷研究社の田中元二さんの塩の道の話を聞きました。(19分03秒)
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- 塩の道から空の道へ 2012年3月25日放送
- 安曇族が信州に持ち込んだとみられる九州の食文化の一つ、オキュートと信州のエゴをスタジオに持ち込み、ふるさと料理人として知られる藤清光さんに比較していただきました。その結果分かったことは、信州のエゴは100%エゴ草でできており、九州のオキュートは、原料のエゴが現在では近辺の海でほとんど収穫できないので、エゴ草にいろんな海藻を混ぜている、という事が判明。従って、信州のエゴはやわらかめにできており、切り方も厚く切って食する。オキュートは固めにできており、薄めに切って食べるという、食べ方の違いはあります。でも、ルーツは同じであるというのがわかりました。(18分59秒)
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- 2012年3月18日放送「信州のエゴと博多のオキュートは同じもの」
- 安曇族が信州に持ち込んだ食文化の代表オキュート。信州では安曇野とその北部から新潟へかけて、現在でも食べられています。信州では海産物が貴重品だったせいか、エゴを食べたのは主にハレの日。お祭りの時などで作ったといわれます。現在でも乾燥したエゴ草を水でとかし、各家で独自の作り方で作り、食しています。一方、博多では、昔はリヤカーに乗せて朝売りにきておりました。さすがに現在は、売りにはきませんが、でも日常的に食しております。博多のオキュートの作り方を、大正5年頃からオキュート作りをなさっている井上オキュート店の井上弘子さん(72才)に伺いました。(19分00秒)
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- 2012年3月11日放送「安曇族が信州に持ち込んだエゴ(おきゅうと)」
- 安曇族が九州から持ち込んだもの、それは馬だったり、そして馬肉を食べる習慣だったりいろいろありますが、志賀島を拠点にしていた安曇族が信州へもっていった食文化の典型的なものは、信州で食べられるエゴです。これは乾燥させた海藻を一度水でもどして、お湯で溶かし固めて食するものですが、これと同じ原料のエゴ草を使い、同じような作り方をする博多のオキュートと全く同じものです。特に安曇野から北の地方へいくといまでも食べられているそうです。信濃大町で旅館七倉荘を経営なさる松沢健夫さん(68才)ご夫婦に話をききました。ご主人は北部の小谷、奥さまはその隣の白馬ご出身です。(18分58秒)
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- 2012年3月4日放送「磐井と安曇族は信州へ」
- 北部九州を支配していた磐井一族は、いわゆる磐井の乱のあと、安曇族と共に九州から日本海を通り、糸魚川から安曇野へ入ったというのが松本猛さんらの説です。磐井の乱と大和政権の争いは、当時の朝鮮半島情勢ともからんでいます。そこで、今週は九州歴史資料館の館長 西谷 正さんが当時の朝鮮半島情勢を解説します。
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- 2012年2月26日放送「古賀市にあった粕屋の屯倉」
- 日本書紀の磐井の乱の記述の部分に磐井は大和朝廷との戦いに敗れて、磐井の葛子が粕屋の屯倉を献上したと書いてあります。その粕屋の屯倉が一体どこなのか最近まで不明でした。そして、つい一昨年のこと古賀市の鹿部(ししぶ)にある鹿部田淵遺跡が粕屋の屯倉の跡であるというのが判明しました。遺跡は役所らしきものの建物の跡がみつかっていて、現在はみあけ史跡公園になっています。この地域はかつて安曇族が拠点にしていた地域です。しかも、安曇族と磐井は結びついていたと思われるのです。大和朝廷に献上する前、磐井はこの地をどのように使っていたのか、とても興味のある遺跡です。(19分00秒)
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- 2012年2月19日放送「志賀の島の歩射祭」
- 安曇族の拠点、志賀島の志賀海神社に残る1月14日、15日に行われた歩射祭を紹介。8人の射手士によって行われる歩射祭。崎山権禰宜の話によると祭りの起こりは、かつて安曇百足(あずみのももたり)という人物が土蜘蛛退治をしたことに由来するといわれ、1月15日の祭の当日は、的まわりという行事から始まります。大きな的(土蜘蛛)をもった人を射手士が追い詰めていくという行事です。この後本殿の参道に作られた土蜘蛛にみたてた大的を射る行事があります。弓は一人2本づつ3回射ます。的の中心に当たれば、よいやあという掛け声がかかります。(19分03秒)
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- 2012年2月12日放送「安曇族の拠点、志賀島の銅結舞」
- 安曇族の拠点となった志賀島。ここには今も古くから連綿と伝えられてきた行事が数多く残っています。その中の一つに、今年1月14日と15日に行われた行事、歩射祭があります。14日の午前中に行われるのが銅結舞(どいまい)という行事。藁束を、酒樽を一回り大きくしたような形に束ねたのが銅結、射手士の練習用の的です。重さは110キロもあります。それに紐をかけてかつげるようにして、射手士にかつがせ、伊勢音頭に合わせて 町を練り歩くのが銅結舞。銅結をかつぐ新参の射手士の後ろには古参といわれる先輩の射手士がつき、銅結を右に左にゆさぶり、射手士をふらふらにさせます。これは新参といわれる人を鍛えるための行事だとか。そんな昔から伝わる行事の数々を紹介していきます。(19分00秒)
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- 2012年2月5日放送「安曇野の菩薩半跏像によく似た対馬の銅像」
- 安曇族が持ち込んだとみられる安曇野の松川村観松院の菩薩半跏像、この像によく似た像が対馬にあります。この像は対馬の島の中間程のところ、厳原から北へ車で30分程行ったところに万関橋という橋があります、この橋の近くに浄林寺というお寺があり、ここに安置してあります。像は上半身が火災で失われていますが、下半身の作りから、大きさは観松院の像よりひとまわり小さいものといわれます。そして、観松院の像と同じ頃作られたのではないかといわれます。対馬は安曇族の拠点の一つともいわれます。2つの仏像にどう安曇族がかかわったのか興味あるところです。(19分00秒)
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- 2012年1月29日放送「観松院の菩薩半跏像の詳細」
- 安曇野の松川村のお寺、観松院にある仏像、銅像菩薩半跏像。この像は高さが30センチと小さく、手で運べるような大きさの仏像です。この菩薩半跏像は台座に座って右足を左足にのせた半跏像です。京都の広隆寺に弥勒菩薩半跏思惟像がありますが、あの半跏思惟像は右手を頬にあてて考えるしぐさをしていますが、この観松院の像の右手は指をそろえて正面を向いています。また、この松川村の菩薩半跏像は国の重要文化財に指定されています。松本さんらは、この仏像を安曇族が松川村に持ち込んだと推量なさっています。この仏像こそ安曇族が安曇野に入った証拠であると推量なさっているわけです。そこで、この菩薩半跏像一体どういうものか解明していきます。お話を鑑定にあたった大阪大学・大学院 文学研究科教授の藤岡穣さんに伺います。(19分00秒)
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- 2012年1月22日放送「安曇野市が一望できる長峰山」
- JRの明科の駅から車で30分程で登れるところに長峰山があります。標高は933メートル。ここの展望台からは安曇野市が一望できます。眼下に穂高神社が見え、犀川、穂高川、高瀬川の3つの川の合流地が明科であるのがはっきりわかります。ここからの眺めは、安曇野市の観光写真でよく使われる場所だそうで、大変すばらしくここを訪れた作家の川端康成や井上靖、画家の東山魁夷が絶賛したという話が残っています。山頂で、安曇野市役所・明科総合支所・教育委員会・学校教育課長の大澤慶哲さんに、昔この辺でとれた鮭の話を聞きました。(19分05秒)
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- 2012年1月15日放送「安曇族の拠点だった・・・?明科」
- 安曇族が信奉した穂高神社の近くに明科という土地があります。ここには、かつて寺院があったと思われる明科廃寺跡という遺跡があります。この遺跡のある場所は3つの川の合流地になります。そしてこの遺跡の近くの川ではかつて鮭がとれ、しかも麻の産地が近くにあったといわれます。安曇族が船を使って、麻や鮭で交易をおこなったのではと思われのです。寺院は瓦や遺物から、3重の塔か5重の塔をもった七堂伽藍があったのではといわれます。この寺院に安曇族は松川村の観松院の仏像を保管していたのでは、という説があります。そんな注目の場所です。(19分01秒)
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- 2012年1月8日放送「穂高仁神社の御船祭り」
- 安曇野市の穂高神社は、安曇族が信奉したと思われる神社です。海から遠く離れた場所にあるこの神社に船を使ったお祭りがあります。例年9月27日に行われる御船祭りで、祭は長さ13メートル、高さ5メートルもある船の上に穂高人形を飾り、その船をはげしくぶつけあう祭りです。9月27日は安曇族とつながりがある阿曇比羅夫の命日にあたるとか。阿曇比羅夫は船団をひきいて百済救援に向かいますが、白村江の戦いでなくなります。その比羅夫を讃えるお祭りだということです。この御船祭りは穂高神社周辺の神社にもたくさん残っているところがあるとか。(18分59秒)
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- 2012年1月1日放送「長者ケ原遺跡の木島勉さん」
- 翡翠の加工場、新潟県姫川の長者ケ原遺跡。遺跡に詳しい糸魚川市教育委員会の木島勉さんの話では、ここで加工された翡翠は全国に送られたといいます。それは縄文時代に始まり弥生時代まで続きます。しかし、古墳時代になると翡翠は突然消えていくんです。その原因は、これまでは謎とされてきました。そして、最近わかったことは、代わりに奈良県の遺跡から全国の珍しい石だけを集めた遺跡が出現します。ここに翡翠が消えた謎の答えがあったのです。それはヤマト政権の誕生と密接な関係があったといわれます。詳しくは番組をお楽しみに。(18分58秒)
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- 2011年12月25日放送「ヒスイの加工場 長者ケ原」
- 塩の道、千国街道は塩ばかりでなく、かつてはヒスイも運ばれていたんです。千国街道に沿って流れる姫川の流域ではヒスイの原石があります。その原石が姫川に流され、流れにもまれて程良い大きさになり下流で採取され、それを新潟県糸魚川(地名)にある長者ケ原遺跡にもちこみ、加工されました。長者ケ原遺跡は縄文時代中期、今から5000年から3500年前の遺跡です。この遺跡で形を整えられ、あるものは勾玉となり、日本全国に運ばれたのです。ヒスイは大変硬度の高い石ですが、縄文人はこのヒスイにあるものを使って穴を開けました。果たしてどんな道具を使ったんでしょう。(19分02秒)
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- 2011年12月18日放送「塩の道の案内人、田中元二さん」
- 塩の道の案内人、白馬小谷研究社の田中元二さんはこの地で生まれ育った方。塩の道に精通。1つの質問で10は答えてくれる豊富な知識の持ち主です。田中さんが学んだ小学校では校庭にスキーのジャンプ台があり、しかも学校まではスキーで通っていたという。そんな小中学生用のジャンプ台が千国街道のど真ん中を横切っているのです。そんなに高くないジャンプ台ですが、田中さんは子供の頃は怖くて飛べなかったとか。このジャンプ台の目の前は、本格的スキー場、栂池高原スキー場。そして、この小さなジャンプ台のすぐ横には、前山百体観音という彫刻のすばらしい観音像がずらりとならんでいます。観音さまは子供たちが空中をジャンプする姿を楽しんでいたのでしょうか。(18分57秒)
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- 2011年12月11日放送「牛も馬も藁草履をはいた塩の道」
- 千国街道には、現在一軒だけ茅葺の大きな建物、牛方宿が残っています。牛方宿は、牛や馬と一緒に人が泊れる宿です。中は奥に炉をきった部屋があり、入り口に牛や馬が4~5頭泊れる空間と、牛方などが泊る部屋があります。そして、宿の近くには塩蔵がありました。塩蔵は斜面に建てられた10坪程の小屋で、斜面の下の部分が半地下になっています。そこに牛や馬が入るのです。その上の部分に塩俵を保管したそうです。そして、塩の道に残る伝説「おかるの穴」を紹介します。(18分58秒)
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- 2011年12月4日放送「千国街道の観音原」
- 塩の道、千国街道にはいろんな仏像がいたるところにあります。中でも白馬の北にある地点に観音原(かんのんばら)という、いわば塩の道を歩く人の休憩所みたいな広場があります。広場はおよそ100メートル四方くらいあって、何より目をひくのは、この広場を囲むように立っている仏像の数々。およそ200程の仏像が顔を見せています。中でも注目されるのが馬頭観音。恐らく一緒に生活を共にした馬の供養をした仏像と思われますが、2頭の馬を彫ったもの、中には3頭の馬を彫ったものや、馬と字だけ書いた像もあったりと、様々な馬頭観音があります。人と馬との親密な生活が偲ばれます。(19分02秒)
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- 2011年11月27日放送「牛も馬も藁草履をはいた塩の道」
- 今回から安曇族が通ったと思われる塩の道、千国街道を紹介。千国街道は新潟県糸魚川から松本までの30里、およそ120キロメートル。この街道を春から初冬までは、牛や馬を使って塩を運んでいます。しかし、雪の多いこの地方の冬は牛馬は歩けないので、人が歩いて塩を運びました。その塩を運ぶ人を歩荷~ボッカといいました。そして、人も牛も馬も藁草履をはいて塩を運びました。この塩の中継地点になっている大町に塩の博物館があります。ここに牛や馬が履いた藁草履が展示してあります。この博物館で大町市教育委員会教育長の荒井今朝一さんにボッカの話を聞いています。(19分04秒)
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- 2011年11月20日放送「塩の道350キロ歩いた宮原一敏さん」
- 安曇族が安曇野に入ったと思われる塩の道は、新潟県の糸魚川から松本へ抜ける千国街道。この道は太平洋側の静岡県相良町へとつながる日本を縦断する道です。縦断すると350キロあります。この道を元商社マンの宮原一敏さん(67才)は61才の時、一人で4回に分けて歩き踏破しました。太平洋側から歩くと、道は平たんで楽だったそうですが、長野県に入ると、登り、登りと続き、しかも歩いたのは8月だったので、道路に雑草が生い茂り、道路標識も見えない状態。そんな中、千国街道の最後の日本海へ抜ける直前の大網峠で宮原さんに最大のピンチが訪れます。そんな宮原さんの体験談です。(19分01秒)
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