RKB創立60周年記念番組「塩の道から空の道へ」

ストーリー&解説
番組で登場する塩の道は新潟県糸魚川から入る千国街道。この道を通って、かつて福岡県志賀島を拠点に活躍した安曇族が安曇野へ入り、住みついたという説がある。
博多の名物「おきゅうと」と全く同じ海藻で作った安曇野周辺だけで食べられるエゴ。果たして、安曇族が持ち込んだものか・・・ 
番組では信州安曇野と志賀島の安曇族の謎に包まれた関係を追跡する。
話数:全20話
出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 他
RKB毎日放送
周波数(kHz):福岡1278kHz 北九州1197kHz 大牟田・行橋1062kHz
放送日時:毎週日曜日午後7時40分
  • 2012年2月19日放送「志賀の島の歩射祭」

    2012年2月19日放送「志賀の島の歩射祭」
    安曇族の拠点、志賀島の志賀海神社に残る1月14日、15日に行われた歩射祭を紹介。8人の射手士によって行われる歩射祭。崎山権禰宜の話によると祭りの起こりは、かつて安曇百足(あずみのももたり)という人物が土蜘蛛退治をしたことに由来するといわれ、1月15日の祭の当日は、的まわりという行事から始まります。大きな的(土蜘蛛)をもった人を射手士が追い詰めていくという行事です。この後本殿の参道に作られた土蜘蛛にみたてた大的を射る行事があります。弓は一人2本づつ3回射ます。的の中心に当たれば、よいやあという掛け声がかかります。
    (19分03秒)
    105円(税込)
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  • 2012年2月12日放送「安曇族の拠点、志賀島の銅結舞」

    2012年2月12日放送「安曇族の拠点、志賀島の銅結舞」
    安曇族の拠点となった志賀島。ここには今も古くから連綿と伝えられてきた行事が数多く残っています。その中の一つに、今年1月14日と15日に行われた行事、歩射祭があります。14日の午前中に行われるのが銅結舞(どいまい)という行事。藁束を、酒樽を一回り大きくしたような形に束ねたのが銅結、射手士の練習用の的です。重さは110キロもあります。それに紐をかけてかつげるようにして、射手士にかつがせ、伊勢音頭に合わせて 町を練り歩くのが銅結舞。銅結をかつぐ新参の射手士の後ろには古参といわれる先輩の射手士がつき、銅結を右に左にゆさぶり、射手士をふらふらにさせます。これは新参といわれる人を鍛えるための行事だとか。そんな昔から伝わる行事の数々を紹介していきます。
    (19分00秒)
    105円(税込)
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  • 2012年2月5日放送「安曇野の菩薩半跏像によく似た対馬の銅像」

    2012年2月5日放送「安曇野の菩薩半跏像によく似た対馬の銅像」
    安曇族が持ち込んだとみられる安曇野の松川村観松院の菩薩半跏像、この像によく似た像が対馬にあります。この像は対馬の島の中間程のところ、厳原から北へ車で30分程行ったところに万関橋という橋があります、この橋の近くに浄林寺というお寺があり、ここに安置してあります。像は上半身が火災で失われていますが、下半身の作りから、大きさは観松院の像よりひとまわり小さいものといわれます。そして、観松院の像と同じ頃作られたのではないかといわれます。対馬は安曇族の拠点の一つともいわれます。2つの仏像にどう安曇族がかかわったのか興味あるところです。
    (19分00秒)
    105円(税込)
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  • 2012年1月29日放送「観松院の菩薩半跏像の詳細」

    2012年1月29日放送「観松院の菩薩半跏像の詳細」
    安曇野の松川村のお寺、観松院にある仏像、銅像菩薩半跏像。この像は高さが30センチと小さく、手で運べるような大きさの仏像です。この菩薩半跏像は台座に座って右足を左足にのせた半跏像です。京都の広隆寺に弥勒菩薩半跏思惟像がありますが、あの半跏思惟像は右手を頬にあてて考えるしぐさをしていますが、この観松院の像の右手は指をそろえて正面を向いています。また、この松川村の菩薩半跏像は国の重要文化財に指定されています。松本さんらは、この仏像を安曇族が松川村に持ち込んだと推量なさっています。この仏像こそ安曇族が安曇野に入った証拠であると推量なさっているわけです。そこで、この菩薩半跏像一体どういうものか解明していきます。お話を鑑定にあたった大阪大学・大学院 文学研究科教授の藤岡穣さんに伺います。
    (19分00秒)
    105円(税込)
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  • 2012年1月22日放送「安曇野市が一望できる長峰山」

    2012年1月22日放送「安曇野市が一望できる長峰山」
    JRの明科の駅から車で30分程で登れるところに長峰山があります。標高は933メートル。ここの展望台からは安曇野市が一望できます。眼下に穂高神社が見え、犀川、穂高川、高瀬川の3つの川の合流地が明科であるのがはっきりわかります。ここからの眺めは、安曇野市の観光写真でよく使われる場所だそうで、大変すばらしくここを訪れた作家の川端康成や井上靖、画家の東山魁夷が絶賛したという話が残っています。山頂で、安曇野市役所・明科総合支所・教育委員会・学校教育課長の大澤慶哲さんに、昔この辺でとれた鮭の話を聞きました。
    (19分05秒)
    105円(税込)
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  • 2012年1月15日放送「安曇族の拠点だった・・・?明科」

    2012年1月15日放送「安曇族の拠点だった・・・?明科」
    安曇族が信奉した穂高神社の近くに明科という土地があります。ここには、かつて寺院があったと思われる明科廃寺跡という遺跡があります。この遺跡のある場所は3つの川の合流地になります。そしてこの遺跡の近くの川ではかつて鮭がとれ、しかも麻の産地が近くにあったといわれます。安曇族が船を使って、麻や鮭で交易をおこなったのではと思われのです。寺院は瓦や遺物から、3重の塔か5重の塔をもった七堂伽藍があったのではといわれます。この寺院に安曇族は松川村の観松院の仏像を保管していたのでは、という説があります。そんな注目の場所です。
    (19分01秒)
    105円(税込)
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  • 2012年1月8日放送「穂高仁神社の御船祭り」

    2012年1月8日放送「穂高仁神社の御船祭り」
    安曇野市の穂高神社は、安曇族が信奉したと思われる神社です。海から遠く離れた場所にあるこの神社に船を使ったお祭りがあります。例年9月27日に行われる御船祭りで、祭は長さ13メートル、高さ5メートルもある船の上に穂高人形を飾り、その船をはげしくぶつけあう祭りです。9月27日は安曇族とつながりがある阿曇比羅夫の命日にあたるとか。阿曇比羅夫は船団をひきいて百済救援に向かいますが、白村江の戦いでなくなります。その比羅夫を讃えるお祭りだということです。この御船祭りは穂高神社周辺の神社にもたくさん残っているところがあるとか。
    (18分59秒)
    105円(税込)
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  • 2012年1月1日放送「長者ケ原遺跡の木島勉さん」

    2012年1月1日放送「長者ケ原遺跡の木島勉さん」
    翡翠の加工場、新潟県姫川の長者ケ原遺跡。遺跡に詳しい糸魚川市教育委員会の木島勉さんの話では、ここで加工された翡翠は全国に送られたといいます。それは縄文時代に始まり弥生時代まで続きます。しかし、古墳時代になると翡翠は突然消えていくんです。その原因は、これまでは謎とされてきました。そして、最近わかったことは、代わりに奈良県の遺跡から全国の珍しい石だけを集めた遺跡が出現します。ここに翡翠が消えた謎の答えがあったのです。それはヤマト政権の誕生と密接な関係があったといわれます。詳しくは番組をお楽しみに。
    (18分58秒)
    105円(税込)
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  • 2011年12月25日放送「ヒスイの加工場 長者ケ原」

    2011年12月25日放送「ヒスイの加工場 長者ケ原」
    塩の道、千国街道は塩ばかりでなく、かつてはヒスイも運ばれていたんです。千国街道に沿って流れる姫川の流域ではヒスイの原石があります。その原石が姫川に流され、流れにもまれて程良い大きさになり下流で採取され、それを新潟県糸魚川(地名)にある長者ケ原遺跡にもちこみ、加工されました。長者ケ原遺跡は縄文時代中期、今から5000年から3500年前の遺跡です。この遺跡で形を整えられ、あるものは勾玉となり、日本全国に運ばれたのです。ヒスイは大変硬度の高い石ですが、縄文人はこのヒスイにあるものを使って穴を開けました。果たしてどんな道具を使ったんでしょう。
    (19分02秒)
    105円(税込)
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  • 2011年12月18日放送「塩の道の案内人、田中元二さん」

    2011年12月18日放送「塩の道の案内人、田中元二さん」
    塩の道の案内人、白馬小谷研究社の田中元二さんはこの地で生まれ育った方。塩の道に精通。1つの質問で10は答えてくれる豊富な知識の持ち主です。田中さんが学んだ小学校では校庭にスキーのジャンプ台があり、しかも学校まではスキーで通っていたという。そんな小中学生用のジャンプ台が千国街道のど真ん中を横切っているのです。そんなに高くないジャンプ台ですが、田中さんは子供の頃は怖くて飛べなかったとか。このジャンプ台の目の前は、本格的スキー場、栂池高原スキー場。そして、この小さなジャンプ台のすぐ横には、前山百体観音という彫刻のすばらしい観音像がずらりとならんでいます。観音さまは子供たちが空中をジャンプする姿を楽しんでいたのでしょうか。
    (18分57秒)
    105円(税込)
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  • 2011年12月11日放送「牛も馬も藁草履をはいた塩の道」

    2011年12月11日放送「牛も馬も藁草履をはいた塩の道」
    千国街道には、現在一軒だけ茅葺の大きな建物、牛方宿が残っています。牛方宿は、牛や馬と一緒に人が泊れる宿です。中は奥に炉をきった部屋があり、入り口に牛や馬が4~5頭泊れる空間と、牛方などが泊る部屋があります。そして、宿の近くには塩蔵がありました。塩蔵は斜面に建てられた10坪程の小屋で、斜面の下の部分が半地下になっています。そこに牛や馬が入るのです。その上の部分に塩俵を保管したそうです。そして、塩の道に残る伝説「おかるの穴」を紹介します。
    (18分58秒)
    105円(税込)
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  • 2011年12月4日放送「千国街道の観音原」

    2011年12月4日放送「千国街道の観音原」
    塩の道、千国街道にはいろんな仏像がいたるところにあります。中でも白馬の北にある地点に観音原(かんのんばら)という、いわば塩の道を歩く人の休憩所みたいな広場があります。広場はおよそ100メートル四方くらいあって、何より目をひくのは、この広場を囲むように立っている仏像の数々。およそ200程の仏像が顔を見せています。中でも注目されるのが馬頭観音。恐らく一緒に生活を共にした馬の供養をした仏像と思われますが、2頭の馬を彫ったもの、中には3頭の馬を彫ったものや、馬と字だけ書いた像もあったりと、様々な馬頭観音があります。人と馬との親密な生活が偲ばれます。
    (19分02秒)
    105円(税込)
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  • 2011年11月27日放送「牛も馬も藁草履をはいた塩の道」

    2011年11月27日放送「牛も馬も藁草履をはいた塩の道」
    今回から安曇族が通ったと思われる塩の道、千国街道を紹介。千国街道は新潟県糸魚川から松本までの30里、およそ120キロメートル。この街道を春から初冬までは、牛や馬を使って塩を運んでいます。しかし、雪の多いこの地方の冬は牛馬は歩けないので、人が歩いて塩を運びました。その塩を運ぶ人を歩荷~ボッカといいました。そして、人も牛も馬も藁草履をはいて塩を運びました。この塩の中継地点になっている大町に塩の博物館があります。ここに牛や馬が履いた藁草履が展示してあります。この博物館で大町市教育委員会教育長の荒井今朝一さんにボッカの話を聞いています。
    (19分04秒)
    105円(税込)
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  • 2011年11月20日放送「塩の道350キロ歩いた宮原一敏さん」

    2011年11月20日放送「塩の道350キロ歩いた宮原一敏さん」
    安曇族が安曇野に入ったと思われる塩の道は、新潟県の糸魚川から松本へ抜ける千国街道。この道は太平洋側の静岡県相良町へとつながる日本を縦断する道です。縦断すると350キロあります。この道を元商社マンの宮原一敏さん(67才)は61才の時、一人で4回に分けて歩き踏破しました。太平洋側から歩くと、道は平たんで楽だったそうですが、長野県に入ると、登り、登りと続き、しかも歩いたのは8月だったので、道路に雑草が生い茂り、道路標識も見えない状態。そんな中、千国街道の最後の日本海へ抜ける直前の大網峠で宮原さんに最大のピンチが訪れます。そんな宮原さんの体験談です。
    (19分01秒)
    105円(税込)
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  • 塩の道から空の道へ 2011年11月13日放送「対馬浄林寺の仏像」 

    塩の道から空の道へ 2011年11月13日放送「対馬浄林寺の仏像」 
    福岡県志賀島の安曇族が信州安曇野に入ったという証拠の一つ、信州松川村の観松院にある弥勒半跏像。この仏像とよく似た仏像が、実は長崎県対馬のお寺にあるのです。対馬は二つの島が橋で結ばれているのですが、その橋のたもとの入江になった集落に浄林寺というお寺があり、そこに安置してあります。上半身は火災で焼けて失われていますが、専門家の鑑定では、これまた大変価値のある仏像だということです。銅製で半分しか残っていませんが、手に取るとずしりと重い仏像です。確かに松川村、観松院の弥勒半跏像と似た部分があります。
    (19分16秒)
    105円(税込)
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  • 塩の道から空の道へ 2011年11月06日放送「観松院の弥勒半跏像詳細」

    塩の道から空の道へ 2011年11月06日放送「観松院の弥勒半跏像詳細」
    ちひろ美術館の松本猛さんの話は、観松院の弥勒半跏像の特徴など詳細な説明。実はこの仏像は右手の手首がもげてどうやら後世に何者かによって木でつくられたものだという事実がわかってきます。そして、仏像はどうやら百済系のものらしいということがわかります。磐井一族がヤマト政権との争いで敗れた(527年)後、安曇族が安曇野へ持ち込んだと思われること。そして、この寺へ持ち込まれる前には明科という場所にあったと思われるお寺にあったのではとみられていること、などがわかってきます。 
    (19分06秒)
    105円(税込)
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  • 塩の道から空の道へ 2011年10月30日放送「観松院の弥勒半跏像」

    塩の道から空の道へ 2011年10月30日放送「観松院の弥勒半跏像」
    ちひろ美術館の松本猛さんの話。いよいよ福岡県志賀島の安曇族が信州の安曇野へ行ったという証拠が登場します。それは、信州松川村にある観松院というお寺に現存する仏像、弥勒半跏像というものです。大きさは約30センチ、銅で作られた仏像です。人の手で持ち運びできる大きさというのもポイントです。専門家の鑑定でも、大変優れた仏像だということです。これを安曇族がこの寺へ持ち込んだものとみられてるのです。この仏像は、いつ頃どこで作られ、そして、いつ頃松川村へ持ち込まれたんでしょうか。 
    (19分10秒)
    105円(税込)
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  • 塩の道から空の道へ 2011年10月23日放送「ちひろ美術館の松本猛さん」

    塩の道から空の道へ 2011年10月23日放送「ちひろ美術館の松本猛さん」
    ちひろ美術館の松本猛さんの話。福岡県志賀島を拠点に活躍した安曇族とはどういった人達であったのか、八女の大王である磐井の君の支配下にいた安曇族が、ヤマト政権との戦いに敗れた磐井一族とともに日本海沿いに北上、新潟県の糸魚川から塩の道を通って安曇野へ入ったという説を披露。その根拠となるものがいくつかあるといいます。それは・・・ 
    (21分01秒)
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  • 塩の道から空の道へ 2011年10月16日放送「失われた弥勒の手」

    塩の道から空の道へ 2011年10月16日放送「失われた弥勒の手」
    2回目登場するのは、安曇野のちひろ美術館常任顧問の松本猛さん。松本さんは友人で医療情報会社の社長さんで作家の菊池恩恵さんと共同で「失われた弥勒の手」という小説を書きました。二人はこの小説の中で信州安曇野と安曇族との関係を探っています。今回から著者の松本猛さんに登場していただき、二人の説を披露してもらいます。 
    (19分00秒)
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  • 塩の道から空の道へ 2011年10月9日放送「塩の道」

    塩の道から空の道へ 2011年10月9日放送「塩の道」
    この番組に登場する塩の道は、日本海の糸魚川から静岡県相良町へ、日本を縦断する350キロの道。北から南下する北塩道と南から北上する南塩道が長野県塩尻でつながる道。番組で主に登場する塩の道は、かつて安曇族が通ったと思われる千国街道。新潟県糸魚川から安曇野を通り松本までの道。一回目はこの塩の道の概要を白馬小谷研究社の田中元二さんに聞きます。
    (19分05秒)
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